あずまやをつくる

東屋(あずまや)とは、公園や庭園などに設置される休憩や眺望を目的とした簡素な建物を指す。一般的に壁がなく、柱と四方に屋根が葺き下ろされた構造が特徴だ。全国各地に様々な装いの東屋があるし、西洋ではガゼボと呼ばれる建物があるなど、似たような建物は世界中に存在している。

学生時代、彼女と二人で新宿御苑を散歩していた時、ふと目に止まった東屋で休憩した思い出がある。どんな話をしたのかは覚えていないが、都会のど真ん中にいるとは思えないほど静かで、ただ腰を下ろしてなんとなく会話をしていただけなのに、不思議と時間がゆっくり流れていた。居心地の良いひと時だったことを今でも覚えている。

その後、新海誠監督の映画「言の葉の庭」が公開され、あの時立ち寄った東屋が重要なシーンの場所として使われていたことで、その思い出はさらに特別なものとなった。

東屋という場所には何かがあるのかもしれない。そう思った。

東屋は、ただの休憩場所ではない。たとえば、偶然隣り合わせた人と言葉を交わす出会いの場所にもなる。長く付き合った友人と、いつもより少しだけ本音を話せる打ち解けた場所にもなる。あるいは、一人で腰を下ろしてぼんやりと空を眺めながら、これまでの人生やこれからの自分について考える思索の場所にもなる。

屋根はある。しかし壁はない。守られているようでいて、どこか開かれている。つまり東屋とは、人が少しだけ立ち止まるために用意された場所だ。歩き続けるための休憩所であり、景色を眺めるための視点でもある。

だからこそ東屋は、そこに座る人によってどんな場所にも姿を変える。ある人にとってはただの休憩所。ある人にとっては駆け込む非難場所。そしてある人にとっては、人生の向きを少しだけ変える場所になるかもしれない。

そんな場所を、もし自分の手で作れたらどうだろう。

ふと、そんなことを考えるようになった。

今の世の中は便利になった。人は、いつでも、どこでも繋がれるようになった。それでも不思議なことに、ゆっくり話せる場所や、安心して立ち止まれる場所は、むしろ減っているように感じる。

情報は溢れているのに、言葉は軽くなり。

人は繋がっているように見えて、孤独は深くなっている。

だからこそ私は考える。

今の世の中に、本当に必要な場所とは何だろうか。そして、もし自分が作るとしたら、どんな場所が欲しいのだろうか。

この「あずまや」という名前には、そんな問いが込められている。

ここは、まだ完成していない空白の場所だ。設計図も、最終形も決まっていない。思考を深めながら人と出会い、縁を繋ぎ、少しずつ形を探していく。そしていつか、現実の世界にひとつの東屋を作りたいと思っている。

誰かがふらりと立ち寄り、コーヒーを飲みながら話をして、時には沈黙を共有できるような場所。

そんな場所ができるまでの過程を、ここに残していきたい。

ここは、あずまやを作るための記録の場所である。