「釘を刺す」という言葉がある。
後でトラブルや約束違反が起きないように、前もって念を押したり、注意・警告したりすることを意味する慣用句だ。私自身も人間関係の中で釘を刺すような言葉を相手に対して使ったり、相手から使われたり、どちらも数多く経験してきた。しかし、送り手や受け手の当事者という立場から離れて考えてみると、そこには金属特有の冷たさと有無を言わさぬ強制力の響きがあり、聞くとどきりとしてしまうのは私だけだろうか。
本来、釘は何かと何かを繋ぎ止めるための道具だ。この言葉も、元々は日本の伝統的な木造建築において、木材を組み上げた後に念のために「和釘」を差し込んで固定した工法から生まれたのが由来だと言われている。
しかし、人間関係においてこの言葉が使われる時、そこにはしばしば支配や抑圧という名の影が差すような気がしてならない。特に日本特有の忠告する=釘を刺すという行為は、相手の自由な動きを封じ、あらかじめ決められた枠組みに従わせるための予防線としてイメージされ、機能してきたのではないだろうか。例えばそれは家父長的な秩序であったり、封建社会時代からの世間の空気であったり。現に、上司や取引先など目上の人に対して使うと失礼にあたる可能性があるから用いるのは不適切だそうで、釘を刺すという言葉の裏には上下や主従といった関係の要素が色濃く居座っている。
さて、ここで改めて釘を刺すという言葉から私たちの日常における人間関係を問い直してみるのはどうだろう。そして、もし無意識のうちに相手に冷たい金属を打ち込んでいるのであれば、手を止めて見てみたい。
その手は、痛々しく傷ついていないだろうか。
その手は、冷たく震えてはいないだろうか。
支配ではなく、未熟さの告白
なぜ、人は相手、特に自分の思い通りに行動してくれない人(ここでは、犬や猫といったペットにも当てはまるのかもしれない)に釘を刺してしまうのか。そこには、相手を従わせたい、コントロールしたいという想いがあるのかもしれない。あるいは、相手の成長を願いたい、変化に期待したいという想いがあるのかもしれない。
しかし、それらの想いの本質は、自分自身が抱えている不安にあるのではないだろうか。
「いつも言ってるけど、帰りが遅くなるなら連絡しなさい」
「いいか、前回みたいに余計なことは言うなよ」
これらの言葉の裏側に潜んでいるのは、相手を信じきることができない、あるいは予測不能な未来が訪れた時に制御できる自信がないという己の未熟さではないか。だからこそ、予め釘を刺して相手を縛ることで相手に行動の責任を自覚させる。そうしないと自らの心の凪を保てないのでは?
そう考えると、私を含め、釘を刺すのは相手を想ってのことだと信じていた人たちはもう一度自分の胸にその手を当てて問い直しても良いのかもしれない。「それは、真に相手のことを想っているのではなく、その先に起こるかもしれない失敗という未来、そして失敗した相手をカバーしなければならない未来の自分と向き合いたくないというのが本音なのかもしれないよ」と。
その意味で、釘を刺すという行為は、本来の支配の宣言ではなく「私はこれほどまでに不安で、未熟である」という無意識の告白なのだと思う。
本当に成熟した関係であれば、釘など必要ない。重力と摩擦、そしてお互いの木目を理解し合い、預け合い、支え合うだけで建物は自立する。日本の伝統建築が釘を使わずに千年を耐え抜くように、人と人とのこころの結びつきもまた、金属の強制力を借りずに成立するのが理想だろう。
仮留めという温かい釘を打ち合う
だが、私はまだ、釘を一本も使わずに家を建てられるほどの職人ではない。いつかはそんな名工に憧れを抱きつつも、これから先の人生においても、人と関係を構築していく上でどうしても木組みが噛み合わない時期もあるだろう。嵐が吹き荒れ、自分一人の力では立っていられない時。どちらかの木が軋んで木目がずれ、積み上げてきた建築物が崩れそうになる時。そんな時、どうしても一本の釘に頼ってしまうことを責められるだろうか。
もし、釘を使うことを自分で許すならば、打つ前に自分の手を見せること。つまり、打つ前に自らの恐れや不安を相手に語れた時においてのみ使えたら、まだ救われそうだ。
「(未熟な)私は、あなたへの信頼を失うのが怖い。だから、無粋だけど言わせてほしい」
そうして差し出された釘は、相手を刺すための冷たい金属の武器ではなく、今後訪れるかもしれない嵐を二人でやり過ごすための仮留めの祈りとなろう。体温を帯びた釘は、やがて信頼という名の木組みが完成したとき、静かに、そして容易に引き抜かれるはずだ。
あずまやの作法
あずまやをつくっていく上で、誰かを型にはめるための釘を準備する場所にはしたくない。
私は、自分の中にある釘を打ちたいという衝動をじっと見つめる。 なぜ、私はあの人に釘を刺したくなったのか。 私のどの部分がまだ未熟で、何を恐れているのか。
鉄の冷たさに頼る前に、まずは自分の木目を知り、相手の木目をなぞりたい。 歪なままでも、少し軋んだままでもいい。 急がず、飾らず。一本も釘を使わずに立てる日を夢見ながら、私はあずまやの作法を大事に今日という人生の一節を編んでいく。
